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イサンは実話?歴史上の事実(史実)を詳しく紹介!王様と王族たちの波乱すぎる人生や朝鮮王朝の厳しい掟!実はあの名シーンはその時代にはご法度だった!?

まりこ
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イサンは実話?歴史上の事実(史実)を詳しく紹介!
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まりこ
アラフォーのフリーランス。 
冬ソナブームの頃には興味がなかった韓ドラにハマって数年。

時代劇が好き。
そして復讐ドロドロ系にツッコミを入れたり、ラブロマンスにときめいたりの毎日です。

読み書きは今ひとつの耳だけハングルなので、最初に覚えた韓国語は、
「~씨(~ッシ)」「아이고(アイゴー)」「어머(オモ)」の3つ。

連絡先:whitelife112226@gmail.com
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出典:https://program.imbc.com/BBS/isan?bbs_id=isan_history

韓国の歴史ドラマ(史劇)を見ていると、「この人物は本当にいたの?」とか、「こんな出来事が実際にあったのだろうか?」と思うことがありませんか?

 

中には、「伝承や昔話をベースに描いたファンタジー」「実在の人物が登場しつつ、想像の物語が展開するフュージョン史劇」といわれる作品もあります。

 

このドラマ「イサン」は、聖君”として名高い「正祖(チョンジョ)=李蒜(イサン)の生涯を描いた作品」で、「史実・実話がベース」となっています。

 

今回は、事実(史実)や通説を、ドラマと比較しながら「イサン」の歴史について詳しくお伝えします。

 

まずは、「作品に描かれる主な事実(史実)」から始めていきましょう!

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もくじ

イサンは実話?歴史上の事実(史実)を詳しく紹介!

史実①米櫃(びつ)事件


1762年 英祖(ヨンジョ)は、自身の息子である「荘献(チャンホン)世子」を”米櫃(びつ)”に閉じ込める。(8日目に世子は、米櫃のなかで餓死!)

 

このとき、李蒜(イサン)は11歳。

実の父親を、祖父が死に至らしめる」という悲劇的な経験をします。

 

のちに英祖(ヨンジョ)は、息子の死をいたみ、荘献(チャンホン)世子に“思悼(サド)”の諡号(しごう:おくりなの意)を贈る。

※思悼(サド):「思えば思うほど悲しくなる」の意味

 

この実話は、「イサンが、父に餅を届けようとする場面」などで描かれています(第1話)

 

史実②李蒜(イサン)の医学的知識?

正祖(チョンジョ)自ら編集に携わったのが、医学書「壽民妙詮 (スミンミョジョン 수민묘전)」

 

許浚(ホジュン)の 『東医宝鑑』から、「韓国の習慣にあわせて4巻に要約したもの」と言われています。(続編の5巻、という記述もありましたが、現存するのは4巻のようです)

 

この史実は、「イサンが、病に倒れた英祖(ヨンジョ)を看病する場面」などで描かれています(第18・19話)

 

史実③李蒜(イサン)暗殺未遂

世孫(セソン)時代からも、たびたび命の危機にさらされてきた李蒜(イサン)

即位後も、その脅威は続きます。

 

よく知られているものが

1777年7月28日 慶熙(キョンヒ)宮・尊賢閣(チョニョンガク)に刺客が入る

1777年8月11日 ふたたび刺客に襲われる

という、とても実話とは思えないような大事件。

 

ドラマでは、

①即位式が終わり、警備が手薄になった夜に、刺客と戦う正祖(チョンジョ)=イサンの姿(第46話)

②路地で狙撃される(第58話)

などで、暗殺未遂とその背景にあった出来事が描かれています。

 

史実④孝懿(ヒョイ)王后暗殺未遂

洪国栄(ホン・グギョン)による「孝懿(ヒョイ)王后毒殺計画」が発覚。


彼は、それ以前「時期としては、妹・元嬪(ウォンビン)を正祖(チョンジョ)の側室にしたものの、病死した頃〜」から、正祖(チョンジョ)より、自主的に宮廷を去るよう勧められていた。

 

1780年、洪国栄(ホン・グギョン)は家財を没収され、故郷へ追放となる。

 

この史実をもとに、ドラマでは、

貞純大妃(チョンスンテビ)と内通していることを、孝懿(ヒョイ)王后に知られたホン・グギョンが毒殺を計画。

しかし、寸前で中止するという流れで描かれています(第65〜67話)

 

史実⑤水原華城(スウォンファソン)の建築


正祖(チョンジョ)は、「さまざまな既得権益がはびこる都・漢城(ハンソン)」ではなく、新たな中心都市として「水原(スウォン)」に城を建設しようと考えた。

 

1794年、城の設計を命じられていた丁若鏞(チョン・ヤギョン)が中心となって建設を開始。

「滑車や挙重機(テコの原理を応用したクレーンのようなもの)」 といった、当時の”最先端技術を駆使した工法”により、城はわずか2年で完成した。

※正祖(チョンジョ)の死去により、水原(スウォン)遷都は”幻”となる

 

この実話をもとにドラマでは、

チョン・ヤギョンがこれまで見たこともないような装置を披露。

建築現場で用いる様子が描かれています(第74・75話)

 

このように、「いくつもの事実(史実)」が随所に登場するドラマ「イサン」

 

イ・ビョンフン監督によると、書籍「英祖(ヨンジョ)、正祖(チョンジョ)の国」(パク・クァンヨン著)を中心とした、「正祖(チョンジョ)時代の歴史記録や武芸、科学、芸術に関するもの」が、「イサン」のベースとなっているそうです。

 

基本的には、

『視聴者は時代劇を史実として捉えることがあるので、歴史の大きな流れは変えてはならないと思っています。』

(参考図書 韓国ドラマガイド「イ・サン」 第3巻)

という考えのもと、作品づくりが始まり

 

『歴史に残されていない部分で、想像力を働かせています。』

 

『想像力をふくらませるのが、脚本家や監督に課せられた仕事です。』

(参考図書 韓国ドラマガイド「イ・サン」 第3巻)

 

このような思いから生まれたのが、ドラマ「イサン」なのです!

 

続いて、「ドラマ」と「史実」を比べながら、「イサン」を深掘りしていきたいと思います。

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イサンは実話?歴史上の事実(史実)とドラマの比較を詳しく紹介!~実在の人物編~


ここでは<人物編><出来事・小物編><通説>の3つに分けてご紹介します。

※なお、ドラマ「イサン」の主な登場人物は、以下の記事で詳しく紹介しています↓↓

イサンの相関図とキャストをオリジナルの図で詳しく解説!複雑な家柄・派閥・血縁などの関係性もわかりやすく整理して紹介!

 

《人物編》

①実在の人物として登場

王族

■イサン=正祖(チョンジョ)


第22代国王

李蒜(サン)

 

■英祖(ヨンジョ)

第21代国王

李昑(クム)

 

■思悼(サド)世子

「英祖(ヨンジョ)」と「暎嬪(ヨンビン)李氏」の息子

「兄・孝章(ヒョジャン)世子」が亡くなり、「荘献(チャンホン)世子」として冊立される

 

正室は、「恵嬪・洪(ヘビン・ホン)氏」

1762年 「米櫃」に閉じ込められて死亡

 

思悼(荘献)世子は死後、

英祖(ヨンジョ)より「思悼(サド)」の諡号を贈られる

正祖(チョンジョ)により、名誉回復がなされ、「荘祖(チャンジョ)」として追尊される

 

■貞純(チョンスン)王后・金(キム)氏

英祖(ヨンジョ)の2番目の王妃(継妃)

正祖(チョンジョ)即位により、「貞純大妃(チョンスンテビ)」へ

 

「老論(ノロン)派」の「金漢耈(キム・ハング)」の娘

「少論(ソロン)」に近く、彼女より年上の「荘献(チャンホン)世子=思悼(サド)世子」とは不仲

兄は「金龜柱(キム・ギジュ)」:後述

※龜は亀の旧字体

 

■恵嬪・洪(ヘビン・ホン)氏

思悼(サド)世子の正室

正祖(チョンジョ)の実母

 

”夫である思悼(サド)世子”が亡くなったため、王妃の地位につくことはなかった

”息子・蒜(サン)”が王位をついだことで、「惠慶(ヘギョン)宮」と呼ばれるようになる

父は「洪鳳漢(ホン・ボンハン)」:後述

 

■和緩翁主(ファワンオンジュ)

英祖(ヨンジョ)の娘

思悼(サド)世子の妹

 

「娘と夫を亡くした和緩(ファワン)翁主」を哀れに思った英祖(ヨンジョ)が、宮廷内に住まわせていた

蒜(サン)が幼いころは、母親のように愛情を注いでいたといわれる

のちに、「鄭厚謙(チョン・フギョム)」を養子に迎える:後述

 

■孝懿(ヒョイ)王后・金(キム)氏

正祖(チョンジョ)の正室

 

実子には恵まれなかったが、温和で謙虚なうえ、孝行心に厚く、「朝鮮王朝の徳妃の1人」として名を挙げられる

 

貞純(チョンスン)王后、惠慶(ヘギョン)宮、和緩(ファワン)翁主らに尽くしただけでなく、年下や目下の者にも優しく接していたと伝えられている人物

 

イサン=正祖(チョンジョ)の側室

■元嬪・洪(ウォンビン・ホン)氏

最初の側室

洪国栄(ホン・グギョン)の妹

13歳で逝去

 

洪国栄(ホン・グギョン)は、「イサンの甥にあたる子どもを元嬪(ウォンビン)の養子」に迎える

 

■和嬪・尹(ファビン・ユン)氏

2番目の側室

「老論(ノロン)派・尹昌胤(ユン・チャンユン)」の娘

生まれた娘は、幼くして逝去

 

正祖(チョンジョ)は、”和嬪(ファビン)付きの女官”に恋をする

この女官が、「ソンヨンのモデル:宜嬪・成(ウィビン・ソン)氏:後述)」

 

■綏嬪・朴(スビン・パク)氏

4番目の側室

正祖(チョンジョ)との間に「一男一女」をもうける。

この男子が、のちの第23代国王・純祖(スンジョ)」

 

「温和で礼儀正しく、実子のいなかった孝懿(ヒョイ)王后に対しても、敬いの態度で接しつづけた」といわれる

 

イサン=正祖(チョンジョ)の弟たち

■恩彦君(ウノングン)

「荘献(チャンホン)世子=思悼(サド)世子」と「側室:粛嬪・林(スクビン・イム)氏」の子ども

 

洪国栄(ホン・グギョン)が、「妹の養子」として迎え入れようとしたのが、「恩彦君(ウノングン)の息子・湛(チュン)」でした。

 

※ドラマ「イサン」のなかでは、「タム」の名で、「湛(チュン)に相当する人物」が登場

 

洪国栄(ホン・グギョン)は、「湛(チュン)」を「完豊君(ワンプングン)」と呼び、「次期国王にしようとしている」とみなされたこともあり、失脚。

完豊君(ワンプングン)も、自死することになりました。

 

「完豊君(ワンプングン)の父・恩彦君(ウノングン)」「謀反の罪」を問われたのですが、正祖(チョンジョ)の働きかけで命だけは守られたといわれています。

※流刑になった

 

■恩全君(ウンジョングン)

「荘献(チャンホン)世子=思悼(サド)世子」と「側室:景嬪・朴氏(キョンビン・パク)」の子ども

※「景嬪(キョンビン)」と「敬嬪(キョンビン)」両方の記載を見かけますが、ここでは「朝鮮王朝実録 朴永圭著」の記載どおり「景嬪(キョンビン)」とします

 

前述の「李蒜(イサン)暗殺未遂」1777年8月11日 ふたたび刺客に襲われる 

この事件の背後には、(本人の意思に関係なく)「恩全君(ウンジョングン)を王に推戴しようとした陰謀」があった。

 

その結果、謀反の罪に問われることになった弟・恩全君(ウンジョングン)を正祖(チョンジョ)は救おうとしたものの、叶わなかったと伝えられている。

 

王族の家族

■金龜柱(キム・ギジュ)

貞純(チョンスン)王妃の兄

 

地方の貧しい両班だった「金(キム)家」。

「妹が英祖(ヨンジョ)の王妃となった」ことで、「兄・龜柱(ギジュ)」は宮中に出入りするようになる。

 

「科挙」に合格。

「英祖(ヨンジョ)の後ろ盾」もあり、次第にその勢力を広げていく。

 

「思悼(サド)世子の世子嬪・恵嬪(ヘビン)の”父・洪鳳漢(ホン・ボンハン)”を陥れようとしたこと」で、英祖(ヨンジョ)の不興をかい、失脚。

 

その後は、「反世孫=反李蒜(イサン)派の中心人物のひとり」に。

ドラマ「イサン」同様、流刑となる。

 

■洪鳳漢(ホン・ボンハン)

恵嬪(ヘビン)の父

正祖(チョンジョ)の母系の祖父

 

思悼(サド)世子の護衛をしていた。

娘が世子嬪に選ばれたことで、出世街道にのる。

※「領議政」の地位まで登りつめる

 

「金龜柱(キム・ギジュ)の策略」によって失脚、流刑に。

のちに復職。

 

「孫である李蒜(イサン)」を可愛がり、”即位”を助けた。

ただし、婿にあたる思悼(サド)世子の米櫃事件などでは傍観。

 

■洪麟漢(ホン・イナン)

恵嬪(ヘビン)の叔父

正祖(チョンジョ)の母系の大叔父

 

「反世孫=反李蒜(イサン)派」の中心人物のひとり

 

英祖(ヨンジョ)が正祖(チョンジョ)に摂政を命じたとき、「三不必知設(サムプルピルチソル)」を主張

 

「三不必知設」とは

『世孫サンは、まず老論(ノロン)派や少論(ソロン)派について、次に吏曹判書(イジョパンソ)や兵曹判書(ピョンジョパンソ)について、さらに宮中のことについて知る必要がない』

(参考図書 韓国ドラマガイド「イ・サン」 第2巻)

という意味。

 

のちには、「李蒜(イサン)を可愛がる兄・洪鳳漢(ホン・ボンハン)」とも対立!

兄が失脚したときには、自身は高職を得るなど権力を手にしていた。

 

正祖(チョンジョ)の即位により、洪麟漢(ホン・イナン)は”逆賊”として流刑に処せられる。

(のちに賜死)

 

■鄭厚謙(チョン・フギョム)

和緩翁主(ファワンオンジュ)の養子

「婚家・鄭(チョン)氏」の遠縁にあたる

 

※「イサン」では、「陪童(ペドン)=ご学友」として登場する鄭厚謙(チョン・フギョム)ですが、実際には「漁師をしていた庶民の生まれ」だといわれています

 

才気にあふれ、英祖(ヨンジョ)がもっとも可愛がった「娘・和緩(ファワン)の後押し」もあり、出世街道にのる。

世孫時代の李蒜(イサン)を牽制。

「即位を阻止」しようとする。

 

正祖(チョンジョ)の即位により、謀反の罪で「流刑」に処せられる。(のちに賜死)

 

■洪国栄(ホン・グギョン)

「世孫時代の李蒜(イサン)の右腕」として活躍

正祖(チョンジョ)の即位を助けたひとり

「妹を正祖(チョンジョ)の側室=元嬪(ウォンビン)にしたこと」で、より権力を手にする

 

「異例の出世を遂げた」といわれる洪国栄(ホン・グギョン)

彼には、このようなエピソードがあるそうです。

 

英祖(ヨンジョ)が、世孫時代の蒜(サン)に「最近読んでいる書物」を尋ねたときのこと。

 

蒜(サン)が答えた「資治通鑑綱目(チャチトンガムガンモク)」には、「隋の親子による王位争いの話」が載っており、それは「英祖(ヨンジョ)と思悼(サド)世子の悲劇」を連想させるものでした。

 

英祖(ヨンジョ)は、その部分を読んだか蒜(サン)に尋ねます。

祖父の真意を理解した蒜(サン)は、とっさに「該当のページは破っていて、読んでいません」とウソを答えます。

 

ところが、英祖(ヨンジョ)が内官にその「資治通鑑綱目(チャチトンガムガンモク)」を持ってくるように命じたため、蒜(サン)は窮地に。

 

しかし、世子侍講院(セジャシガンウォン)にいた洪国栄(ホン・グギョン)は、英祖(ヨンジョ)の命令の意図を悟り、「該当ページを破って書物を持っていき、蒜(サン)を救った」と伝えられています。

 

このようなこともあり、正祖(チョンジョ)=李蒜(イサン)は、洪国栄(ホン・グギョン)を信頼。

厚遇したといわれています。

 

そのほかの重要人物

■蔡済恭(チェ・ジェゴン)

正祖(チョンジョ)の忠臣

英祖(ヨンジョ)が思悼(サド)世子を廃位しようとしたときも、阻止に動いた人物。

 

清廉な性格で、彼に対しては「英祖(ヨンジョ)も一目置いていた」と伝えられる。

 

朝廷では少数派となる、「南人(ナミン)派出身」の蔡済恭(チェ・ジェゴン)は、優れた政治力で「独相(トクサン)=1人で領議政・左議政・右議政の3役を務める地位」で、5年もの間活躍する。

 

■丁若鏞(チョン・ヤギョン)


洪国栄(ホン・グギョン)失脚ののち、正祖(チョンジョ)の右腕となる人物

南人(ナミン)派の学者の家に生まれた「儒学者」。

 

文学、哲学、工学、科学、行政など幅広い分野で活躍する。

号は「茶山」など多数あり。

 

成均館(ソンギュンカン)の儒生時代から、正祖(チョンジョ)も認めるほどの実力を備えていた。

しかし、老論(ノロン)派」が力を持っていたため、「南人(ナミン)派」の丁若鏞(チョン・ヤギョン)は何度も大科に落第。

 

正祖(チョンジョ)は、彼を学問に専念させたうえ、蔡済恭(チェ・ジェゴン)を試験官にする。

この年、丁若鏞(チョン・ヤギョン)は首席で合格した。

 

前述の「水原(スウォン)華城(ファソン)の建築」で活躍したのも、丁若鏞(チョン・ヤギョン)

 

また、彼が設計、考案した「舟橋」を通って、正祖(チョンジョ)は「華城(ファソン)行幸」を行う。

※この舟橋を通る場面が、ドラマ「イサン」にも登場(第75話)

 

正祖(チョンジョ)亡きあと、貞純大妃(チョンスンテビ)らにより”配流”となる。

そのなかで、「母系の親族・尹博(ユン・パク)の山亭」に移り住む。

 

ここで、彼は自分の号を「茶山」と名づけ、「牧民心書(モンミンシムソ)」など多数の書物を執筆する。

※この時代が、雲で描いた月明かり」の茶山先生=チョン・ヤギョンが登場する頃

 

また、俳優チョン・ヘイン(丁海寅)さん”ご先祖”としても知られています。

※チョン・ヤギョンとの関係も含め、チョン・へインさんについて詳しくは以下の記事で紹介しています↓↓

チョンへインのドラマ・映画・CM出演作、「国民的年下男子」と言われる魅力を詳しく紹介!

 

奎章閣(キュジャンガク)の文官


■朴齊家(パク・チェガ)

父は、「承政院(スンジョンウォン)の右副承旨(ウプスンジ)」などを歴任した朴玶(パク・ピョン)

少年時代から詩や書、画などに秀でていた齊家(チェガ)は、朴趾源(パクチウオン)の門下生となる。

 

ただ、庶子だったこと、そして早くに父を亡くしたことで、科挙を受験することすらできなかった。

 

正祖(チョンジョ)が即位し、「奎章閣(キュジャンガク)」を設置。

実力のある若者たちを積極的に登用したことで、朴齊家(パク・チェガ)も活躍の場を得る。

 

朴齊家(パク・チェガ)は、李徳懋(イ・ドクム)らと、蔡済恭(チェ・ジェゴン)に随行して、「清」へ赴く。

約3ヶ月の随行の旅で学んだことを、帰国後「北学議(プカギ)」という論文にまとめる。

 

正祖(チョンジョ)の「庶子差別廃止策」により、「奎章閣(キュジャンガク)の検書官」となった朴齊家(パク・チェガ)、柳得恭(ユ・ドゥッコン)、李徳懋(イ・ドクム)、徐理修(ソ・イス)の4人は“四検書(サゴムソ)”と呼ばれた。

 

■柳得恭(ユ・ドゥッコン)

儒学者

朴趾源(パクチウオン)の門下生

 

朴齊家(パク・チェガ)、李徳懋(イ・ドクム)、徐理修(ソ・イス)らとともに、「奎章閣(キュジャンガク)の検書官」として登用される。

 

■李徳懋(イ・ドクム)

儒学者

「経史(経書と史書)だけでなく、奇文異書にも明るく,文章と書芸に優れていた」といわれる。

朴齊家(パク・チェガ)らと、蔡済恭(チェ・ジェゴン)に随行して、「清」へ赴く。

 

朴齊家(パク・チェガ)、柳得恭(ユ・ドゥッコン)、徐理修(ソ・イス)らとともに、「奎章閣(キュジャンガク)の検書官」として登用される。

 

■白東脩(ペク・トンス)

正祖(チョンジョ)の時代に活躍した武士

あらゆる武芸に秀でていたものの、庶子であったため、地方の“田舎侍”として暮らしていた。

 

正祖(チョンジョ)によって、武官に登用される。

武芸書「武芸図譜通志(ムイェドボトンジ)」を編纂した。

 

正祖(チョンジョ)の死後は、故郷に戻り、ふたたび官職につくことはなかった。

 

ドラマ「イサン」では

パク・チェガと居酒屋にいるときに、イサン、テス、ジャンボ、ソッキらと出会う。

 

テス、ジャンボ、ソッキの3人を倒した小柄な男こそ、「ペク・トンス」だった。

イサンは才能のあるパク・チェガとペク・トンスに声をかけるが、「庶子差別があるままでは限界がある」と言って断る。(第33・34話)

 

また、壮勇営(チャンヨンヨン)で、正祖(チョンジョ)に試技を披露。

武芸書「武芸図譜通志(ムイェドボトンジ)」を謹呈したときに、テスと共にねぎらいの言葉をかけられたのがペク・トンスです。(第77話・最終回)

 

ここまでで紹介した人物は、「全て歴史上に実在した人物」です。

ただ、ドラマ「イサン」では、実在の人物がモデルではあるものの、”ドラマオリジナルのキャラクター”という人物」も数多く登場しています!

次に、そんな「ドラマオリジナルの人物たち」を詳しく紹介します!

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イサンは実話?歴史上の事実(史実)とドラマの比較を詳しく紹介!~実在の人物がモデルになったキャラクター編~

②実在の人物がモデル

■ソン・ソンヨン(成松淵)

正祖(チョンジョ)の3番目の側室

モデル:宜嬪・成(ウィビン・ソン)氏

2番目の側室・和嬪尹(ファビンユン)氏つきの”女官”だった成(ソン)氏。

 

和嬪(ファビン)は、「老論(ノロン)派・尹(ユン)家」の人物でした。

そのため、老論(ノロン)派の重臣たちが、正祖(チョンジョ)を和嬪(ファビン)の寝殿へと積極的に勧めたことで、正祖(チョンジョ)が”ひとりの女官”を見初める。

 

それまで政略結婚ばかりだった正祖(チョンジョ)が、初めて”恋心”を抱いたのが、「ソンヨンのモデル成(ソン)氏」です。

 

ドラマの中では、「図画署(トファソ)の画員を父にもち、彼女自身も図画署(トファソ)茶母(タモ)」という設定でした。

 

■文孝(ムニョ)世子

「正祖(チョンジョ)」と「宜嬪・成(ウィビン・ソン)氏」のあいだに生まれた子ども

モデル:李㬀(スン)

 

ドラマの中では「享(ヒャン)」

文孝(ムニョ)世子の諡(おくりな)を、ドラマと同じ「享(ヒャン)」とした記録もありましたが、ここでは「朝鮮王朝実録 朴永圭著」の記載どおり「㬀(スン)」とします

 

子どもに恵まれなかった正祖(チョンジョ)は、㬀(スン)の誕生を喜び、満2歳になる前に”世子”に冊封。

しかし、幼くして亡くなってしまいます。

 

残念ながら、「夭逝した文孝(ムニョ)世子に関する記録は、あまり残されていない」といわれています。

※生母である宜嬪・成(ウィビン・ソン)氏も同じ年に亡くなっている

■パク・テス(朴大壽

モデル:白東脩(ペク・トンス)

正祖(チョンジョ)の時代に活躍した武士

 

これまで数多くの作品で描かれてきた「聖君・正祖(チョンジョ)」

 

ドラマ「イサン」では、今までと違う視点で人物を描くため、「側室となるソンヨン=宜嬪・成(ウィビン・ソン)氏からみたイサン(李蒜)」を取り上げることにしたそうです。

 

しかし、「図画署(トファソ)茶母(タモ)のソンヨン」では、日ごろイサンのそばにいることができません。

 

そのため、イサンの言動を間近でみて、それを視聴者に伝えられる人物」として、護衛の”パク・テスという架空の人物”を設定。

そのテスのモデルが、同時代に実在した「白東脩(ペク・トンス)」です。

 

ドラマの中では、”テスとそのモデルであるペク・トンス”が、ケンカをしたり、上官下官として正祖(チョンジョ)の前で武芸を披露したり…なかなか面白い演出でしたね!

 

■チェ・ソクチュ

モデル:沈煥之(シム・ファンジ)

 

イ・ビョンフン監督によると、実名ではなく、役柄として別名にしたのは“史実にない言動をとらせるため”だったそうです。

 

ドラマ「イサン」で、「老論(ノロン)派」として正祖(チョンジョ)=イサンを苦しめながら、ときには取引に応じるなど、「表の顔と裏の顔を使い分ける人物」として登場するチェ・ソクチュ。

 

放送終了後の2009年に

 

「正祖(チョンジョ)が、当時右議政(ウィジョン)の沈煥之(シム・ファンジ)と”御前会議でどのようにやりとりをするか”など事前に口裏合わせをしていた手紙」

 

が見つかり、「チェ・ソクチュと同様の言動だったこと」に監督も驚いたそうです。

 

「さすが歴史ドラマ!」というだけあって、これだけ多くの実在人物が「イサン」に登場しているのですね。

 

続いて、「ドラマの中で描かれた出来事や品物」をいくつか取り上げます。

「イサン」の記事一覧!もぜひあわせてどうぞ♪

このように「イサン」は、「歴史的な事実」をもとに、適度にアレンジを加えながらも、ドラマとして丁寧に仕上げられた、まさに「渾身の超大作」ですね♪

「史実を元にしたシーン」や、「逆に架空の人物を用いて、視聴者に伝わりやすいよう工夫されたシーン」など、歴史の通りの部分もあれば、そうでない部分ももちろんあります!

 

この記事を読んで「イサン」の歴史に興味を持った方は、歴史上の事実」と比べながら、じっくりと「イサン」見直してみるのも、おすすめの楽しみ方ですよ☆

ただ、何でもネットで見れる今の時代、「お金をかけずに無料で見たい」と思うのが現代人の普通の心情ですよね。

 

ではどのサイト・サービスならゆったりと無料で見ることができるのでしょうか?

そこで大の「イサン」ファンの私が、PandoraなどのサイトからNetflix、U-NEXTなどの正式なサービスまで徹底調査て詳しくまとめてみました!

「イサン」を無料で見てみたい方は、ぜひご覧ください↓↓

「イサン」と関連作品の動画は全話無料で見れる!波乱に満ちた聖君の生涯!つながりの深い他のドラマでも、楽しい発見の連続!

イサンは実話?歴史上の事実(史実)とドラマの比較を詳しく紹介!~出来事・小物編~


<出来事・小物編>

歴史上に実在した出来事・小物①金燈(クムドゥン)/ 金縢(クムドゥン):第40話

針金で封をした”極秘文書”の入った箱

 

ドラマでは、

死を予感した英祖(ヨンジョ)が、密かにチェ・ジェゴンに渡しています(第40話)

 

史実でも、

「思悼(サド)世子の死後、当時、”都承旨(トスンジ)だった蔡済恭(チェ・ジェゴン)”に英祖(ヨンジョ)が残した」と伝えられています。

 

その中には、英祖(ヨンジョ)の直筆で書かれた文書」が収められていました。

 

朝廷で公開されたのは、その中の一部でしたが

 

『血に染まったチョクサム*よ、削杖(サクチャン)*よ、一体誰のものなのだろうか。

この哀痛すべき事柄を”金縢(クムドゥン)”に入れて千年大切にしまっておき、(わが息子が)わが懐に戻ってくることだけを切に望まん』

 

という英祖(ヨンジョ)の気持ちを表したものでした。

※チョクサム:ひとえのチョゴリ

※削杖(サクチャン):葬礼のときに喪主がつく杖

(参考図書 韓国ドラマガイド「イ・サン」 特別編)

 

これは、「息子である思悼(サド)世子の死を悼み、自ら死に追いやったことを後悔している」という英祖(ヨンジョ)の思いがしたためられており、これがきっかけとなり「思悼(サド)世子の名誉回復へつながった」とされています。

 

さらに、長いあいだ正祖(チョンジョ)=李蒜(イサン)についてまわった“罪人の息子”という足枷から、放たれることにもなりました。

 

余談ですが

「トキメキ☆成均館スキャンダル」では、「金燈(クムドゥン)/ 金縢(クムドゥン)とほぼ同じもの」として、「金縢之詞(クムドゥンジサ)」が登場します。

 

歴史上に実在した出来事・小物②洗草(セチョ):第43話


筆で書いた文字を水で洗い流すこと

※紙を再利用するため

 

前述の金燈(クムドゥン)/ 金縢(クムドゥン)によって、公開された英祖(ヨンジョ)の詩。

 

このことで、「タブーとされてきた思悼(サド)世子の死」について、”議論”されることが可能となりました。

 

こうして対立する老論(ノロン)派に対して、”正当な理由”を有した正祖(チョンジョ)は、亡き父の名誉を回復させることに成功するのです。(のちにお墓の移葬も実施)

 

1776年、当時摂政を務めていたイサン(李蒜)が命令を出した「洗草(セチョ)」は、単に文字を水で洗い流すというだけでなく、「父・思悼(サド)世子の歪曲された記録を消し、汚名をそそぐ」目的がありました。

 

リサイクルのためではなく、死後にその名誉を回復するため行われた「洗草(セチョ)」は、このときが初めてだったと伝えられています。

 

この洗草(セチョ)で削除された記録は「1762年=思悼(サド)世子が亡くなった年の承政院(スンジョンウォン)日記」です。

 

歴史上に実在した出来事・小物③奎章閣(キュジャンガク)の設立


「歴代王の詩文」や、「親筆の書画」などを保管するための機関

 

ただし、これは表向きの理由で、正祖(チョンジョ)には

「奎章閣(キュジャンガク)を通して、幅広い人材を集め、外戚や宦官=内官らによる横暴を抑えて、改革を行う意図」

があった。

 

その主なものは

・「蕩平(タンピョン)策」=党派と身分を超えた人材登用の推進

英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)が行おうとした人事政策

 

党派の力や縁故ではなく、「能力」に応じた登用

当時“半分両班”と呼ばれていた庶子の登用

などを進めた

 

歴史上に実在した出来事・小物④実学の採用

正祖(チョンジョ)は、儒学の一学派による理論に偏りすぎた学問や、虚礼虚飾にとらわれた学問ではなく、”民に直接役に立つ学問”に関心を持った。

 

ドラマでは

正祖(チョンジョ)=イサンが、テスに建築中の建物を見せながら、自分の胸の内を打ち明ける場面があります(第47話)

 

この建物が、「奎章閣(キュジャンガク)」です。

 

また、チョン・ヤギョンが見せたさまざまな建築技術以外にも、小屋に閉じ込められたときに小麦粉爆弾をつくって脱出する(第67話)など、実用的な学問の象徴”として描かれています。

 

歴史上に実在した出来事・小物⑤眼鏡


晩年の正祖(チョンジョ)が、書類などに目を通すために眼鏡をかける場面があります。

 

この眼鏡について、清に随行した李徳懋(イ・ドクム)も記述を残しています。

それによると、清ではかなり一般化していたようです。

 

ただし、朝鮮では一部に普及する程度だったこと。

さらには、「目上の人の前で眼鏡をかけるのは無礼にあたる」と考えられていたこともあり、国王である正祖(チョンジョ)ですら、宮中でかけて良いのか迷ったと伝えられています。

 

歴史上の通説?異説?

これは、ズバリ「正祖(チョンジョ)毒殺説」のことです。

 

一般的には、「病死(①腫瘍ができ、そのために亡くなった ②敗血症と脳卒中によるもの)」とされている正祖(チョンジョ)の死。

 

その一方で、毒殺説が根強くあるのも周知の事実です。

【毒殺説の根拠とされるもの】

①最後に正祖(チョンジョ)へ薬を運んだのが、「貞純大妃(チョンスンテビ)」だった

 

②正祖(チョンジョ)が息を引きとるとき、そばにいたのは「貞純大妃(チョンスンテビ)1人」だった(他の者を下がらせた)

 

「老論(ノロン)派のシム・ファンジ(チェ・ソクチュのモデル)」の親戚にあたる人物が、”内医院(ネイウォン)の主治医”であり、中毒を起こす可能性がある薬の処方をすすめた

 

そのため、ドラマでは毒殺説をとるのか、病死とするのか?

視聴者が気になった部分でもあります。

 

ドラマ最終回では

高貴な身分の女性が、足音を忍ばせながら正祖(チョンジョ)の枕元に薬を運んで来る

というカメラワークでしたね。

 

そのため、一瞬「ここで正祖(チョンジョ)=イサンは亡くなる?」と思わせました。

 

そして、ソンヨンの顔が映し出され、「彼女の涙によって、イサンが奇跡的に目覚める」とホッとさせる展開へ!

 

志半ばで亡くなる事実は変えられないけれど、温かい気持ちになれるエンディングだったように思います。

 

最後に、「現実にはあり得ないけれど…という場面」を取り上げます。

 

<ドラマならでは>

「御真(オジン)」を描くソンヨン

「御真(オジン)」とは、「真実の王の姿」という意味です。

王の姿を記録として後世に残し、死後に祭祀などを行うときに用いられる大切な画。

 

吉日を選び、「御真画師(オジンファサ)」に選ばれた2、3人以上の画員で描いていくものです。

 

ドラマ「イサン」では、”3回”ソンヨンが「御真(オジン)」に携わる場面があります。

①御真画師(オジンファサ)のタク・チスの代理で、「英祖(ヨンジョ)の御真(オジン)下絵」を描く(第30話)

 

②英祖(ヨンジョ)の依頼を受け、亡くなった「思悼(サド)世子の御真(オジン)」を描く(第44話)

 

③願い出て「正祖(チョンジョ)=イサンの御真(オジン)」を描く(第74話)

似ていますか?↓↓

出典:http://program.imbc.com/isan

このように、「御真画師(オジンファサ)に選ばれてもいない、しかも”図画署(トファソ)茶母(タモ)”のソンヨンが、王の姿を絵に残す」、また、「側室である宜嬪(ウィビン)が王の姿を描く」というのは現実にはありえません。

 

「王の姿は神聖なもの」と考えられていましたので、しきたりも手順も厳格に定められていたのです。

 

それと同じように、「王の名前を呼ぶこと」も禁じられていました。

 

王の名、正祖(チョンジョ)では「蒜(サン)」ですが、これは単に名前ではなく“諱(いみな)”

「特別の場合を除いて、呼ぶことが禁止されている名前」のことです。

 

朝鮮王朝時代では、元子(ウォンジャ)には世子(セジャ)になるまで“近親者のみが呼ぶ幼名”が用いられていました。

 

ですので

「主上(チュサン)殿下(チョナ)」

「世子(セジャ)邸下(チョハ)」

と敬称をつけて呼ばれていたのです。

 

「王の名」、「諱(いみな)」を書いたり、科挙の答案や上奏文に「諱(いみな)と同じ文字を書くこと」が禁じられていました。(見つかれば刑罰の対象になる!)

ドラマでは、

幼いイサンがソンヨンに「蒜(サン)」と呼ばれて、「父上様、母上様以外に初めて呼ばれた」と感激する場面があります(第2話)

これも知られたら、ソンヨンは重い罰を受けることになります。

 

最後に、ドラマとしての「イサン」と「歴史上の事実(史実)」の関係についてまとめつつ、「監督・脚本家の歴史へのこだわり」を紹介して、この記事を終わりにしたいと思います。

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イサンは実話?歴史上の事実(史実)を詳しく紹介!~まとめ~

今回、「朝鮮王朝実録」「イサンの公式ガイドブック」を参考にして、「歴史としての事実(史実)」と「ドラマ」を見比べながら、ちょっとマニアックに深掘りしてみました。

 

この作品だけに登場する人物や、場面設定など、確かに想像して描かれたものもありますが、基本的に「主要な人物や出来事など、史実をベースに丁寧に作り上げられた作品」だと言えそうですね。

 

イ・ビョンフン監督も、キム・イヨン脚本家も、“ドラマ制作までに、多数の書籍や資料・史料を読む”とインタビューで語っていました。

 

このように、事実の上にイマジネーションを働かせるので、私も含めた視聴者が「すべて事実では?」と感じるくらい真実味のある物語になるのでしょう。

 

ドラマの中で描かれた「白粉で布を染める」「茹でたじゃがいもを用いて印鑑を偽造する」なども、実際にあった出来事(イサンの時代ではありませんが)なのだそうです。

 

今回ご紹介した以外にも、衣装や調度品など、時代考証をなされたうえで作品に登場するものがたくさんあります。

ドラマの中に登場するアイテムを、ご自身で調べてみるのも楽しいかもしれません♪

 

この記事で、次回「イサン」を見るときの楽しみが増えていれば幸いです。

 

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まりこ
アラフォーのフリーランス。 
冬ソナブームの頃には興味がなかった韓ドラにハマって数年。

時代劇が好き。
そして復讐ドロドロ系にツッコミを入れたり、ラブロマンスにときめいたりの毎日です。

読み書きは今ひとつの耳だけハングルなので、最初に覚えた韓国語は、
「~씨(~ッシ)」「아이고(アイゴー)」「어머(オモ)」の3つ。

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