奇皇后は実在した!世界史上屈指の下克上を成し遂げた女性の生涯とは!?
冬ソナブームの頃には興味がなかった韓ドラにハマって数年。
時代劇が好き。
そして復讐ドロドロ系にツッコミを入れたり、ラブロマンスにときめいたりの毎日です。
読み書きは今ひとつの耳だけハングルなので、最初に覚えた韓国語は、
「~씨(~ッシ)」「아이고(アイゴー)」「어머(オモ)」の3つ。
連絡先:whitelife112226@gmail.com
出典:https://www.imdb.com/title/tt3322566/mediaviewer/rm3807712256
ハ・ジウォンさんが演じた「スンニャン(ヤン)」こと「奇皇后」。
カッコ可愛く、しかも美しいその姿に同性のファンも急増したとか。
一方で、実在の奇皇后はその地位にもかかわらず、名前すら記録にない人物です!
※「スンニャン」は、脚本家のお二人が 「山犬・狼」の「”승냥이(スンニャンイ)”」からつけた名前だといわれています
今回は、国内外で発表されている資料から “実在の奇皇后” についてお伝えします。
実は資料により記述に幅があり、「○○らしい、○○といわれている」というものが多くありますが、謎の多い「奇皇后の実像」に、少し迫ってみたいと思います!
※「奇皇后の肖像画(写真)」は、人物編の最初に掲載しております
もくじ
奇皇后は実在した!~人物編~
奇皇后の肖像画調べたらめちゃくちゃ丸々してたンゴ… pic.twitter.com/Gzh13vkvZD
— エトゥヨシ (@eto__uyosh) October 31, 2016
最初に「奇皇后自身」についてお伝えします。
■奇皇后という実在の人物
<奇皇后>
- 生没年:(諸説あり)
- 1315年頃〜1369または1370年(享年54または55)
- 名前:記録なし
「奇子敖(キ・ジャオ)の娘」という記載のみ
■奇皇后を示す呼び名など
- 奇順女
- 完者忽都(オルジェイ・クトゥク)
中国の小説では「美艶妃子」「皇妃奇完者」という表現もありました。
元の官僚は「杏瞼桃腮弱柳腰*」と、奇皇后について書き記しています。
*意味:杏の花のように白い顔、桃のような紅い頬、柳のような腰
奇皇后が「元王朝」の中で存在感を増していったころ、「高麗美人」がもてはやされたという話もありますので、やはり美人だったのでしょうね。
※本名が分からないのに「奇順女」と表記されるのは、「順帝(トゴン・テムル / 恵宗)のお妃(女)奇氏だから?」と思ったのですが、真偽のほどは不明です。
■奇皇后の家族~「高麗」編~
- 父:奇子敖(キ・ジャオ)
- 母:記録なし
※李氏らしい(李幸儉の娘という資料もありました)
<兄弟姉妹>
- 長男(兄):奇軾(キ・シク:逝去)
- 次男(兄):奇轍(キ・チョル)
- 三男(兄):奇轅(キ・ウォン)
- 四男(弟):奇輈(キ・ジュ)
- 五男(弟):奇輪(キ・リュン)
- 長女(姉):記録なし(不明)
- 次女(姉):記録なし(不明)
- 三女:奇皇后
◆奇氏について
「奇氏」は、韓国では多い姓ではありません。
本貫(父系の始祖出身地)は「幸州(ヘンジュ)」*ひとつなので、”奇氏は同族”ということになります。
*現在の京畿道(キョンギド)高陽(コヤン)市にあたります。
朝鮮出兵激戦の地のひとつ・幸州山城を車窓から。石田三成はこの戦いで負傷したという。 pic.twitter.com/PfBqEix7lX
— 夕里_倭城と古代山城 (@umdry) September 7, 2017
そのルーツは、(その存在が現時点では立証されたとは言えず神話に近い)古朝鮮・「箕子(きじゃ)朝鮮48代王子・奇友誠(キ・ウソン)」が”初代奇氏”だと伝えられています。
なお、
- 「奇氏」
- 「鮮于(ソンウ)氏」
- 「韓(ハン)氏」
の3つは、”韓国で最古の姓だと言われています。
奇皇后のいた高麗時代だけでなく、その後、「李氏朝鮮時代にも活躍した奇氏の末裔」が何人もいます。
※「奇氏の末裔」について詳しくはこちら(奇皇后の兄と史実編)
■奇皇后の家族~「元」編~
◆夫:モンゴル帝国 第15代皇帝(元朝 第11代皇帝)トゴン・テムル
漢字表記:妥懽帖睦爾
※妥懽をハングル読みすると「タファン」になる
- 生没年:1320年5月25日〜1370年5月23日(享年49)
- 廟号(びょうごう):恵宗
- 諡号(しごう):順帝
※朱元璋に率いられた「明」の軍隊により、「首都・大都」を攻撃され北方に逃亡
このとき負けを素直に認めたため “明に帝位を譲った従順な皇帝” として「順帝」 の諡(おくりな)を受けた
◆子ども:アユシリダラ
- 生没年: 資料により多少の違いあり
1340年1月23日〜1378年5月10日(享年38)
1340年1月23日〜1378年4月28日から5月26日のあいだ(享年38)
※1339年誕生という資料もある
- 廟号(びょうごう):昭宗
- 諡号(しごう):武承和孝皇帝
◆奇皇后には子どもが2人いた?
一部の中国での奇皇后に関する資料では、”トゴン・テムルの次男トグス・テムル”が、「奇皇后の2番目の子ども」として紹介されていました。
(別の資料には、”トグス・テムルはアユシリダラの異母兄弟”と記されています)
◆トグス・テムル
- 漢字表記:脱古思帖木儿
- 生没年:1342年3月7日〜1388年11月1日(享年46)
- 昭帝(アユシリダラ)崩御により、「北元第3代皇帝」として即位する
- 廟号(びょうごう):平宗
(元号から天元帝とも呼ばれる)
「トグス・テムルが、トゴン・テムルの子どもであり、アユシリダラの弟であること」は、各種資料共通の記録です。
一方、”母親が奇皇后と明記したものは数が少なく”(現時点で)何ともいえません。
『天元帝 奇渥温 脱古思帖木儿』という表記もあるので、「奇皇后の次子」なのでしょうか?
次に、”資料(史料)にみる『奇皇后』および関係する出来事”をご紹介します。
※諸説あるため、資料により時期に多少の食い違いがあります
奇皇后は実在した!~生涯編~
【奇皇后の生涯と主な出来事】
- 1320年代 のちの奇皇后(以後、地位に関係なく奇皇后と表記します)「貢女(コンニョ)」として元に送られる
※1333年という説もある
■高麗出身の宦官・高龍普(コ・ヨンボ)=禿滿迭兒が、”奇皇后を皇室付きの女性に推薦”する
※「高龍普(コ・ヨンボ)と 禿滿迭兒(Tumender カナ表記不明)は別の人物」という説もある
最初はお茶を給仕する仕事についたといわれる
■奇皇后は美貌だけでなく、”賢く、詩歌の教養もあった”と伝えられている
- トゴン・テムル、奇皇后を気に入る
- 奇皇后、トゴン・テムルの「側室」となる(当時の皇后はダナシリ/ 答納失里)
ダナシリは嫉妬深く、執拗に奇皇后をいじめたという
具体的には鞭で打つ、焼きごてを当てるなど・・・
「奇皇后がダナシリの仕打ちに耐えかねて、トゴン・テムルの前で号泣した」という話もある
- 1335年 ダナシリの兄タンキシュ/ 唐其勢 とタラカイ/ 塔刺海 が謀反を起こしたことで、ダナシリは皇后の地位を剥奪される
- 2ヶ月後、バヤン/伯顔の命により幽閉中のダナシリ死亡
※このとき用いられたのが “鴆毒(ちんどく)” といわれている
ドラマ「奇皇后」で、コルタがタファンに密かに飲ませ、その体を蝕ませたのが “鴆毒(ちんどく)” でしたね。
- 1337年 バヤン・クトゥク/ 伯顔忽都 正皇后に冊封される
- トゴン・テムルは寵愛する”奇皇后を正皇后にしようとした”が、バヤンらの猛反対で断念する
※バヤンらの奇皇后に反対する第一の理由は、奇皇后が元の血筋ではなく、「高麗出身者」であったため
- 1340年 奇皇后アユシリダラを産む
※ほかに1338年、1339年という資料もあり
- 皇子を産んだことにより、奇皇后は「第二皇后」に冊封される
逆にバヤン・クトゥクは、宮廷から遠ざけられたといわれている
- 奇皇后の冊封により、「高麗の奇家にいくつかの特権」が与えられる
- 父・奇子敖(キ・ジャオ):すでに亡くなっていたため、「栄安(ヨンアン)王」として追尊
- 母・李氏某:「栄安(ヨンアン)王夫人」として、”高麗王による訪問を受ける名誉”や、”元の大都公式訪問の権利”を受ける
- 兄・奇轍(キ・チョル):参知政事(さんちせいじ)
- 兄・奇轅(キ・ウォン):翰林学士(かんりんがくし)
など高位を得る
※「奇皇后」の兄と史実について、詳しくはこちらの記事(奇皇后の兄と史実編)で解説しています。
- 皇后の地位を得た奇皇后は、「高麗出身者で自身の派閥」を形成
- 皇室の財政を手中に収めたことで、「奇皇后の発言力」が増す!
※彼女の右腕として朴不花/ パク・ブルファが名を知られている
(この頃から漢民族を中心とした「紅巾の乱」が各地で起こる)
- 1353年 アユシリダラが「皇太子」として認められる
※このとき奇皇后は、”重臣たちを買収した”と伝えられている
(この頃、「反乱軍=紅巾の乱」の制圧に向かったタルタル(トクト)/ 脱脱 が、ハマ/ 哈麻 の姦計により失脚、毒殺される)
- 1356年 恭愍(コンミン)王 奇轍らを反逆の罪で断罪(奇氏一族が殺害される!)
고려 공민왕(恭愍王, 1330 ~ 1374)이 그린 염제신 초상 pic.twitter.com/eK3msVxWMD
— Gim Gangseon (@nadosaranghaess) July 18, 2019
- 奇皇后、トゴン・テムルに働きかけ、高麗に元の軍隊を派遣し、一族の恨みを晴らすことを望む
※この時点では、トゴン・テムルは派兵を許可しない
トゴン・テムルは、徐々に政治への関心を失い享楽に耽ったといわれる
そのため、”政治の実権”を奇皇后が握る!
奇皇后は「女孝經」など歴史書も通読していた
歴代皇后のことにも詳しく、「宮中の女性たちが模範とすべき決まり・作法」を作ったといわれる
元王朝内部には、”奇皇后が権力を持つことに対して快く思わない人々”も、相当数いた
「奇皇后が元の政治を牛耳ることで、災いが増えている」
「奇皇后の地位を下げるべき」
という非難もあったといわれている
- 1358年 奇皇后は大飢饉が起こると、朴不花/ パク・ブルファに命じて、民衆に粥を配るよう手配させる
そのほか亡くなった人々のために墓所を設置し、弔った
- 1363年 トゴン・テムルが「恭愍(コンミン)王を廃位」すること、「高麗への派兵」を決定する
元の立場から見ると高麗が、
- 皇后の親族を殺害した
- 双城(サンソン)総管府を含めた一帯を攻め、領土を奪う(もとは高麗の領土)
※このとき高麗側の武将として活躍したのが、李子春(イ・ジャチュン)李成桂(イ・ソンゲ)親子
- 元の使臣に随行していた人物を殺害する
などの反元の動きが大きくなったため
しかし、元の軍隊は、高麗の兵により惨敗する
このとき、高麗側の武将として活躍したひとりが崔瑩(チェ・ヨン)
- 奇皇后、政治をおろそかにするトゴン・テムルに退位を迫る
- 奇皇后は、息子アユシリダラを帝位につけようと画策する
このため、元王朝内部が、トゴン・テムル派と皇太子アユシリダラ派に分裂し、内部対立が激しくなる
- 1364年 トゴン・テムル派によりクーデター発生
- 奇皇后、ボロト・テムル/ 孛羅帖木児 らによって幽閉される
- 1365年 皇太子アユシリダラ派のココ・テムル/ 擴廓帖木児 らにより王朝内紛は収束に向かう
- 奇皇后は解放され、宮廷に戻る
- 1365年 正室:バヤン・フトゥク逝去(享年42)
死後バヤン・フトゥクの居所を訪れた奇皇后は、繕いのあとがある衣服を見て「正皇后がこのような服を着ていたのか」と大笑いしたと伝えられている
アユシリダラは、バヤン・フトゥクの死を大いに嘆いたと伝えられている
- 1365年 奇皇后、トゴン・テムルの正室となる
- 1368年 明を建国した朱元璋が大軍で大都まで攻め入る
明(1368~1644)
貧農から成り上がった中華版秀吉こと朱元璋が初代皇帝。というか時代的にはこっちが先。ところで朱元璋さんは全く別物な肖像画が2種類あるんですが、どっちが実像に近いんですかねぇ(ゲス顔pic.twitter.com/4ojqoKxBA2— 偏見で語る消滅国家bot (@henkenkokkabot) April 20, 2020
- トゴン・テムルと奇皇后、皇太子アユシリダラらを連れ、北方の応昌へ逃れる
(高麗は、元への援軍を派遣せず)
- 1370年 トゴン・テムル逝去(享年49)
- アユシリダラ、「北元王朝第2代皇帝」として即位
- 奇皇后は、「この頃亡くなった」といわれるが、記録がないため不明
※一説では、高麗に戻ったのちに亡くなったというものもある
- 明の軍隊に追われ、アユシリダラ、さらにカラコルムへ逃れる
- 1378年 アユシリダラ逝去
- 1388年 トグス・テムル逝去
- 北元王朝滅亡!!
このように、「祖国・高麗(コリョ)」から「貢女(コンニョ)」として元に渡り、「皇后」の地位までのぼった奇皇后。
しかし、その最期は記録に残っていないようです。
また、「奇皇后に関する記録」の多くが、(元を北方に追いやった)「明によって書かれた」といわれています。
そのため、 “汚職と贅沢にまみれた奇皇后” に関して “元王朝を没落させた人物” という視点で描いたものが大半だと伝えられています。
さらに、祖国高・麗(コリョ)から時代を経た現在の韓国でも、奇皇后の評判はよくありません!
というより『祖国に派兵し、国王=恭愍(コンミン)王を廃位させようとした悪女』といわれているようです。
これは奇皇后の言動だけでなく、妹が元の皇后となったことで高い地位を得た「兄・奇轍(キ・チョル)らの横暴ぶり」も、『悪女・奇皇后』評を形成する一因となっています。
そのため、ドラマ「奇皇后」の放送が始まった当時「登場人物を美化しすぎている」と歴史歪曲騒動が起きました。
この騒動に対して、冒頭に「これはフィクションです」という字幕をつけて対処したようです。
このように悪女評の強い奇皇后ですが、以前は韓国でもそれほど有名ではありませんでした。
ハ・ジウォンさん演じる「奇皇后」を見て知った方も少なくなかったとか。
次の項目では、ドラマ『奇皇后』と史実との違いや、ドラマでは描かれなかった彼女の姿を中心にお伝えしたいと思います!
奇皇后は実在した!~ドラマとの比較編~
ドラマ「奇皇后」と比較しながら、いくつかの出来事をご紹介します。
「奇皇后」登場人物と実在人物
※上に表記したもの(「・」がついている名前)がドラマの登場人物、下が実在の人物になります
元の皇室
・タファン(チ・チャンウクさん)
トゴン・テムル/妥懽帖睦爾
・タナシルリ(ペク・ジニさん)
ダナシリ/答納失里
・バヤンフト(イム・ジュウンさん)
バヤン・フトゥク/伯顔忽都
・皇太后(キム・ソヒョンさん)
ブダシリ/卜答失里
元の人々
・ヨンチョル(チョン・グクファンさん)
エル・テムル/燕鐵木兒
・タンギセ(キム・ジョンヒョンさん)
タンキシュ/ 唐其勢
・タプジャへ(チャ・ドジンさん)
タラカイ/ 塔刺海
・ぺガン(キム・ヨンホさん)
バヤン/伯顔
・タルタル(チン・イハンさん)
タルタル(トクト)/ 脱脱(托克托)
※タルタルの史実について詳しくはこちら(奇皇后のタルタルは史実でもカッコイイ!でも悲しい!)
高麗の人々
・キ・ジャオ(キム・ミョンスさん)
キ・ジャオ/奇子敖
・ワンユ(チュ・ジンモさん)
チュンへワン/忠恵王
※実在人物とドラマ内の設定に、最も違いがあるといわれる人物
※ワンユの史実について詳しくはこちら(奇皇后のワンユはコンミン王の兄がモデル?とんでもない王様の生涯とは!?)
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・ワン・ゴ(イ・ジェヨンさん)
瀋陽(シミャン)王 → 瀋(シム)王 ワン・ゴ/王暠
※奇皇后の時代は、改名され、瀋(シム)王が正しいようです
・パク・ブルファ(チェ・ムソンさん)
パク・ブルファ/朴不花
奇皇后の右腕といわれる人物
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・江陵(カンヌン)大君
のちの恭愍(コンミン)王
そしてこの2人は実在モデルというより、個人的な印象です
■「奇皇后」の記事一覧!もあわせてどうぞ!
「奇皇后」登場人物と似た人物
コルタ(チョ・ジェユンさん)
ハマ/哈麻
・トクマン(イ・ウォンジョンさん)
コ・ヨンポ/高龍普/禿滿迭兒
ドラマ上の設定(史実ではない部分)
- 男装の麗人だった(弓などの武器を巧みに使った)
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- 父:奇子敖(キ・ジャオ)が万戸府長官
高麗の警察組織ともいえる「万戸府の長官」という設定でしたが、実際は「下級官僚」でした
軍事関係の役人、「散員(サンウォン)」だったという資料もある
- ぺガンの養女として側室候補になった
モンゴル人としての誇りを強くもつバヤン/伯顔は、漢民族の虐殺を行うだけでなく、「高麗人である奇皇后が正皇后となること」に強く反対した
- タルタルとよき師弟関係だった(奇皇后を支えた)
(現時点で)タルタル(トクト/ 脱脱)と奇皇后の大きな対立に関する記述は目にしていません。
しかし、元の貴族の家系であるタルタルが
『お妃はモンゴル人の有力家系から(異国の女性をお妃にするのは不吉)』
という「不文律」を自ら積極的に破ることはなかったと思われます。
- タナシルリが奇皇后の子どもを自分の子と偽って育てた
トゴン・テムルとダナシリ/答納失里は、敵対関係にある家だったため「不仲」だったといわれ、子どもはいなかった!
※ダナシリの父エル・テムルが、「トゴン・テムルの父・第9代皇帝コシラ暗殺」に関わったと伝えられている
- バヤンフトが奇皇后を陥れようとした
実際のバヤン・フトゥク/ 伯顔忽都 は、控えめで、「トゴン・テムルが奇皇后を寵愛すること」に対しても嫉妬することのない性格だった
- タファンが大都で亡くなった
明の軍隊に大都を攻撃され、トゴン・テムルは、奇皇后や皇太子アユシリダラ を連れて、北方に逃げたのちに亡くなる
史実をもとにしたと思われる設定
- 奇皇后が宮廷に入り、最初はお茶の給仕などの雑務をした
■宮女の衣装で写るハ・ジウォンさん
- 当時の皇后タナシルリに意地悪をされた
- 踊りや詩歌もうまく、賢い女性だった
- 多くの書物に目を通していた
- 高麗の文化や衣装などを流行らせた
皇太后(キム・ソヒョンさん)が、宮廷内に高麗文化の影響がみられることを忌み嫌う様子がありましたね。
それに対し、奇皇后が「皇太后様に高麗の服を(用意せよ)」とトクマン(イ・ウォンジョンさん)に命じ、皇太后には、「高麗の服で朝礼に出るよう言い放つ」という女の闘いとして描かれていました。
- タファンが一時期、奇皇后を遠ざけた
お酒ばかり飲むタファンに、奇皇后が口を酸っぱくして止めるよう言っていたあたりです。
ただし、史実では
“酒色におぼれ、政治を疎かにするトゴン・テムルに、奇皇后が退位を迫り、我が子アユシリダラを帝位につけようとした”
とのこと。
そのため、トゴン・テムルは、「奇皇后を2ヶ月の間遠ざけた」と伝えられています。
- 元の官僚らが「高麗からの貢女(コンニョ)」を手に入れようとすることを禁じた
約80年の間続いた “貢女(コンニョ)制度” を廃止した
※奇皇后の死後、ふたたび貢女(コンニョ)制度が始まる
ドラマではほとんど描かれなかった史実
- 飢饉のときに民衆を救うよう指示を出した
粥を配る
犠牲者を弔う(埋葬や葬式、読経など)
※奇皇后は「仏教徒」だったようです
- 高麗を元の省にしようとする “立省論” を廃止させた
「“悪女”奇皇后が祖国・高麗と関わる出来事」や、「元において(何もしようとしないトゴン・テムルを尻目に)民衆を救おうと自ら指示を出したこと」などは、ほとんど描かれなかったですね。
韓国のニュースには、歴史学者の方が
「ドラマを見て、奇皇后に対して間違った認識を持つのではないかと危惧している」
というコメントを出しているものもありました。
そこには
「“悪女”奇皇后が英雄視され、美化されてはならない」
という“良識者の認識” があるように感じます。
“どの立場で出来事を捉えるか” によって、受け止め方は違うのかもしれませんね。
次に、「ほかの韓国ドラマでは『奇皇后』をどのように描いているのか?」もチェックしてみました。
■「奇皇后」の記事一覧もあわせてどうぞ!
奇皇后は実在した!~他のドラマとの比較編~
この時のヤンかっこいい😎#奇皇后#ハ・ジウォン pic.twitter.com/z4XfPbPqje
— ひよこ🐤 (@chocopiyo999) December 2, 2017
「奇皇后」とほぼ同時代を描いた韓国ドラマ
開国(1983)
横柄に振る舞う「奇皇后の兄・奇轍(キ・チョル)がいかにも憎々しげに描かれ…」見続けたのですが、「奇皇后」が画面に登場することはありませんでした。
その代わり
恭愍(コンミン)王が、家臣から元の様子について報告を受けるときに、「奇皇后に言及する場面」があります。
家臣:「奇皇后は(我が子を帝位につけようとするなど)かなりの野心家」
恭愍(コンミン)王:(笑いながら)「知っておる」
※恭愍(コンミン)王は、「江陵(カンヌン)大君」と呼ばれていた頃、12歳からの10年間を人質として「元で過ごしている」ので、奇皇后を知っている
元から攻撃されること*を避ける(先延ばしする)ため、奇皇后に誕生祝いの品を届ける一方で、「反元・親明政策をとろうとするという場面」でも、「奇皇后」の名前が出てきます。
*「奇轍(キ・チョル)ら奇氏一族をほぼ皆殺しにしたこと」
「双城(サンソン)総管府などを攻撃したこと」
「元の使臣随行員を殺害したこと」などが攻撃を受ける理由
シンドン(辛旽)(2005-2006)
「悪女・奇皇后(キム・ヘリさん)」が登場。
江陵(カンヌン)大君は、自分を王位につけてくれるよう奇皇后に頭を下げるのですが、奇皇后は首を縦に振りません。
「支配する国」と「支配される国」という感じが出ています。
また、奇皇后はかなり豪奢な身なりで、妖艶な雰囲気をもっています。
さらに、「兄・奇轍(キ・チョル)」をはじめ、「兄・奇轅(キ・ウォン)」「弟・奇輪(キ・リュン)」など、「奇氏一族」が我が世の春を謳歌し、あたかも王のような振る舞いをするなど、「悪行」を繰り返します。
この「シンドン(辛旽)」には、「奇皇后の母・栄安(ヨンアン)王夫人李氏」も登場しています。
シンイ(信義)(2012)
信義 ‐シンイ‐ 韓国ドラマなぅ。
イ・ミンホかっこいいわー(*´`*) pic.twitter.com/E5mPiPHEQh— nachan. (@arsn_mr5) May 13, 2014
元からの脱却を目指す恭愍(コンミン)王は、妻である「元の魏王の娘・魯国(ノグク)公主」と心を通わせ、崔瑩(チェ・ヨン)ら忠臣に支えられながら、「奇皇后の兄・奇轍(キ・チョル)」らと闘う…というタイムスリップ系フュージョン作品。
ここでの「絶対悪」が、奇轍(キ・チョル)・奇轅(キ・ウォン)の兄弟とその舎弟たち、そして「新元派の官僚」です。
奇氏一族ほどではありませんが、「新元派の人物」はどのドラマでも、「祖国(高麗)の裏切り者」的な描かれ方をしています。
なお、「大風水」(2012-2013) も時代的には近いのですが、奇皇后をはじめとした奇氏一族は登場しません。
いくつか同時代の作品をご紹介しました。
奇皇后が登場しない作品でも、”奇氏一族の描かれ方”をみていると「韓国における奇皇后評」が少し感じられるのではないかと思います。
機会があれば、ご覧になってください☆
最後に「実在の『奇皇后』の内面や性格、口癖のように使っていた言葉」について紹介しつつ、この記事をまとめたいと思います。
奇皇后は実在した!~まとめ~
皆さんの記憶に残る奇皇后は、キム・ヘリさん演じる妖艶な女性でしょうか?
それともハ・ジウォンさん演じる「元でも高麗でもない」と言った、ふたつの祖国を持つ女性でしょうか?
いくつもの資料に目を通してみると、
- 時代に翻弄されながらも、細心の注意を払いつつ、少しずつ自分の周りを固めていくしたたかさ
- 元と高麗ふたつの国の家族を思う愛情
- 我が子のためであれば、批判も承知でやってのける図太さ
という様々な面を感じます。
一番印象に残っているのは、中国の小説(タイトルは「奇皇后傳」)のなかで、奇皇后の口から何度も出ることば、「無可奈可」です。
「どうしようもない」という意味なのですが、「その時の状況」に対しても、「不甲斐ない夫=トゴン・テムル」に対しても、「我が子アユシリダラが母の心を慮って声をかけたとき」も、「無可奈可!」
奇皇后が実際に「どうしようもない」と口にしたのかはわかりませんが、そうでも思わないと少女のころに祖国を離れ、残した家族を失った彼女が、「第2の祖国」で生き抜いていけなかったのかもしれません。
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